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質素なスタート 1809

フランス革命の火種がくすぶり続け、フランスが同国史上最大の流血を伴う政変から回復しつつある時期に、ナポレオン・ボナパルトがナポレオン1世として皇帝に即位しました。 この不安定な政情の中、クルボアジェの創業者であるエマヌエル・クルボアジェとベルシーの市長ルイ・ギャロスが、セーヌ川北部に位置するパリの外れにワイン・スピリッツの会社を設立することにしました。 川に近いため輸送に便利なこと、当地では既にワイン貿易が繁栄していたこと、さらにパリ市の城壁の外側に位置していたため税金を払う必要がなかったことから、ベルシーは最高の立地条件を備えていました。

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ナポレオン戦争で飲まれたコニャック。1811

ルイ・ギャロスとエマヌエル・クルボアジェの評判はブランディー愛好家の間で急速に広まりつつありました。そんなある日、それを聞きつけた皇帝ナポレオン・ボナパルトがベルシーのコニャック倉庫を訪れました。 そこでコニャックを試飲した後、ナポレオンは、当時進行していたナポレオン戦争において兵士の士気を上げる目的で、大砲部隊にコニャックを配給し始めました。その際、次のような言葉を残したと伝えられています:「兵士たちが侵攻を遂げる間、夕方にはワイン、朝にはコニャックを楽しめるよう、君たちの部隊にできるだけ多くの酒を支給する。」

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ナポレオンの追放中の贅沢。1815

ワーテルローの戦いでの敗北後、ナポレオンはアフリカ大陸と南米大陸の間の大西洋に浮かぶセントヘレナ島に追放されました。 伝説によると、彼は贅沢品を一種類だけ持っていくことを許されたためコニャックの樽を数個選んだのですが、それが67日間の航海の間「HMS Northumberland 」に乗船していたイギリス海軍の将校に大層気に入られたとのことです。 彼らはこれを「ナポレオンのブランデー」と呼んでいました。

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パリからジャルナックへ。1828

エマヌエル・クルボアジェとルイ・ギャロスのそれぞれの息子であるフェリックス・クルボアジェとジュール・ギャロスは、彼らの顧客はますます高い品質のスピリッツを求めているということを直感的に理解しました。 そのことを念頭に置いて、彼らは事業方針を大胆に変革しました。 既に高い評判を築いていたブランデーの品質管理をより徹底させたいと考え、パリからコニャック地方の中心に位置するのどかなジャルナックに拠点を移すことにしました。 同地は現在でも引き続き、クルボアジェの本拠地となっています。

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クルボアジェ兄弟。 1866

フェリックス・クルボアジェが男子の跡継ぎを残さずに1866年にこの世を去った後、甥のクルボアジェ兄弟が事業を継ぎ、生涯をジャルナックで過ごしました。 彼らはコニャックが珍重されていたイギリスと良好な貿易関係を築きました。当社の記録によると、クルボアジェのみが、シンプルに「リバプール」や「ジャルナック」と名づけられた船で大量に輸送されていたということです。

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皇室御用達。1869

クルボアジェの評判はますます高まり続け、遂にはデンマーク、英国やスウェーデンの王室をも魅了するほどになりました。 その一方でフランスでは、皇帝ナポレオン・ボナパルトの甥であり、皇位継承者であったナポレオン3世も個人的にクルボアジェを好み、やがて、商人の間で珍重されていた称号 「Fournisseur de la Cour Impériale」、つまり「皇室ご用達ブランド」の称号を授与しました。

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チャールズ・ディケンズとポンチ酒。1870

著名なイギリスの小説家、チャールズ・ディケンズが、ロンドンの近くに位置するギャッズ・ヒルの自宅で亡くなった際、かの有名なポンチ酒作りに使用した2,160 本のボトルを残したと伝えられています。 それにはラム、ジン、ウィスキー、ブランデー、コーディアル、リキュールのほか、主なコレクションとして、フェリックス・クルボアジェのイニシャル入りの淡い色のラベル「F. Courvoisier」の貼られたボトルが216本も含まれていたそうです。

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エッフェル塔完成記念公式ディナーで振舞われたコニャック。1889

エッフェル塔は、フランス革命100周年を記念して開催されたパリ万国博覧会に合わせて建造されましたが、その完成記念公式ディナーで、クルボアジェが振舞われました。 この非常に贅沢なパーティーには、後のイギリス国王エドワード7世、バッファロー・ビル、フィンセント・ファン・ゴッホ、ヘンリー・ジェイムズ、電球を発明したトーマス・エジソンなど、王族のほか、さまざまな名士や著名人が参加しました。 こうした高貴な顔ぶれが集まる中、クルボアジェは、その日最後の国際的賞であるMedaille d'Or(金賞)を受賞しました。

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ダイヤモンドによる格付け。1900s

クルボアジェは常に世界で最も上質なコニャックのひとつとみなされてきました。そして、その長い年月の間、スピリッツの品質等級はさまざまな方法で表示されてきました。 1900年代初期には、コニャックの品質に応じたダイアモンドの数(1つから4 つまで)をボトルのラベルに表示していました。 実際、コニャックをこよなく愛するイギリスが、格付けに最も大きな影響力を持っていました。 今日使用されているコニャックの格付けの大半は1910年にその起源を遡り、クラス分けにはVS (Very Special)、VSOP (Very Superior Old Pale) 、 XO (eXtra Old)など、英語の略語が使われています。

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ブランデーではなくコニャック。1909

1909年5月1日の法令を通じてフランス当局は、「コニャック」という名称を使用できるスピリッツについて、発酵、蒸留や熟成工程に関する厳格な要件に加えて、全工程がフランスのコニャック地方で産出されたものだけに限定するなど、厳しく制限しました。 それ以降、すべてのコニャックはブランデーですが、すべてのブランデーをコニャックと呼ぶことができなくなりました。

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ナポレオンのシルエット。1909

イギリスで何代にもわたりワインやスピリッツ事業を展開していたサイモン一族が、1909年にクルボアジェのリーダーシップを握ることになりました。真のグローバルブランドとしての当ブランドの将来性を高く評価したからです。 イギリスにおけるクルボアジェのエージェントであったアルフレッド・サイモンが同社を買収する一方、1912年にジャルナックで勤務を開始したジョージ・サイモンはすぐにアシスタントディレクターの地位を獲得し、1923年には代表取締役に就任しました。 同一族が最初に行ったことは、世界で最も上質なコニャックである、という一世紀にわたって培われてきたクルボアジェの名声を基盤として、フランスの国境を越えて当ブランドを積極的に売り出す目的で、容易に認識できる象徴的なナポレオンのシルエットを使用することでした。

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正真正銘のナポレオンコニャック。1910

ナポレオン・ボナパルト皇帝即位の一世紀後、クルボアジェの最も著名な擁護者であった彼に敬意を表して当社ではナポレオンコニャックの売り出しを開始しました。 この革命的ともいえる戦略を通して、注意深く手造りされたスピリッツから出来た新しいクラスのコニャックである「ナポレオン」が誕生し、当時主要な上級クラス(熟成度)の製品のひとつとなりました。 当社オリジナルのナポレオンコニャックのラベルにも象徴的なナポレオンのシルエットが掲載され、以来クルボアジェのすべてのボトルにこのシルエットが登場するようになりました。これも、サイモン一族の先見の明に溢れた見事なブランド戦略の一例です。 当社ではエレガントなサテンのような手触りのボトルを最初に作ったという点でも革新的でした。以来、数多くのコニャックハウスがこれを真似ています。

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コニャック生産地域の限定。1936

5月15日よりコニャック地方の生産地域が限定されるとともに、原産地呼称統制法が導入され、コニャックという名称の使用に関してより厳しい法律が定められるようになりました。 当社では今日まで常に、6つのクリュのうち最も良い土壌とされている4つのクリュ:グランド・シャンパーニュ、プティ・シャンパーニュ、ボルドリーおよび ファン・ボア産のぶどうのみを使用しています。

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戦争の時代。1940

第二次世界大戦の勃発でジョージ・サイモンは1940年、フランスを去りイギリスに戻らざるを得ませんでした。 彼は本国からクルボアジェの経営を継続しましたが、彼がフランスを離れている間、友人のジョージ・ヒューバートとクリスチャン・ブラスタッドに会社の管理を任せました。 戦争が最盛期を迎えていた当時、シャトーはドイツ軍によりカジノとして使用されており、彼は実質的に事業を2人のフランス人に「売却」することとなりました。けれども、こうしてクルボアジェがドイツ軍の手に落ちるのを防ぐことができ、その上戦争後はサイモン一族に当社を返還するという約束も1945年に言葉通り果たされました。

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刷新されたジョセフィーヌ・ボトル。1951

ナポレオンの最初の夫人の名に因んで「ジョセフィーヌ・ボトル」と名づけられた当社のボトルは、コニャックの概念を塗り替えるほど革新的なものでした。その形状については、ウエストをコルセットで絞ったジョセフィーヌのファッショナブルなドレスをモデルにしていると言う者もあれば、当時のブランデーグラスを逆さにしたものだという説もあります。 今日ではこのクラシックなデザインは、上質なコニャックの代名詞となり、世界中に知れ渡っています。

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クルボアジェ「Gala」の発売。1955

新しい試みを決して恐れないクルボアジェは1950年代に、混ぜ合わせて飲めるスピリッツ 「Gala」を発売しました。 男性だけでなく、女性にも楽しんでいただける、より軽くフルーティな味わいの薫り高いコニャックです。 ウッドの豊かな味わいを特長とするVS クラスの製品で、フランスとイギリスの植民地で販売されました。

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TVに登場した初のコニャック。1960

当社では常に革新的な姿勢を貫いてきましたが、それはコニャックそのものに限ったことではありません。1960年当社は、コニャックブランドとして初めてTVに登場するという歴史的偉業を成し遂げ、唯一無二の香りを誇る当社製品が9百万人のイギリス国民の目に触れました。 2009年にはさらなる偉業が繰り返され、クルボアジェは地上波テレビで初めて3Dコマーシャルを流した飲料メーカーとなりました。 また、当ブランドの広告は、当時世界中で最も成功を収めていた映画「Avatar」にも登場しました。

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醸造技術における革新。1980

1980年代を通して当社では、より上質で豊かな味わいのコニャックを造るため、小型蒸留器を使用したり、独自にフレンチオーク材を購入して寝かせたり、樽を立てて貯蔵したり、といったさまざまな変革を取り入れました。それにより、樽から溶け出す木材成分がより均質になり、よりバランスの取れた豊かな香りを引き出すことに成功しました。 それが、主要コニャックハウスの中で最も革新的で、前向きな考え方をする当社の地位をますます強化することになりました。

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「Prestige de la France」を授与されたクルボアジェ。1983

当社は、フランスにおける最高の品質の証である「Prestige de la France」を授与されており、この栄誉を授けられた唯一のコニャックハウスです。 同賞は、当時パリの市長で後にフランスの大統領となったジャック・シラクより授与されました。

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クルボアジェ博物館の開設。1985

伝説となって語り継がれる当社の歴史をご紹介し、ナポレオンの帽子を含む、200年を超える年月の間に収集されたユニークな品々のコレクションを披露するため、ジャルナックのシャトー内に博物館を設立しました。

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クルボアジェ・エルテ・コレクション: 最高級コニャックと「Art Decoの寵児」とのコラボ。1988

2人のフランス人巨匠の技が融合され、偉大な芸術と上質のコニャックが初めて組み合わされた「クルボアジェ・エルテ・コレクション」が発売されました。「アールデコの寵児」の異名をとるエルテとのコラボで実現された製品です。 エルテが甘美なフォルムのデキャンタをデザインする一方、当社のマスターブレンダーが、グランド・シャンパーニュ産の原酒をブレンドしました。そのうちの一部は、エルテが生まれた年である1892年までその起源を遡る秘蔵の古酒でした。 彼はコレクションを形成する7つのボトルに、蒸留から成熟までのクルボアジェにおけるコニャック醸造の各工程を表現した華やかでスタイリッシュなデザインを施しました。

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クルボアジェの精神、千年紀の精神。2000

クルボアジェ・シャトーの伝統あるパラディ・セラーで当社の第5番目のマスターブレンダー、ジャン・マルク・オリヴィエが、歴史上重要な比類なきヴィンテージと数世代にわたる伝統とを融合させて、世紀の変わり目を祝いました。 「L'Esprit」には1930年より若い原酒は含まれておらず、フランス革命の後ナポレオンが皇帝に即位した時代に遡る秘蔵品など、パラディ・セラーに貯蔵されていた多数の重要な古酒がブレンドされています。 そのように希少なコニャックに相応しい、個々にナンバリングされ、手作業で丁寧に作り上げられたガラス細工のデキャンタに納めて販売しました。

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「Courvoisier Succession J.S.」ナポレオン戴冠を記念して造られたコニャック。2004

1804年12月2日に行われたナポレオン戴冠式の200周年を記念して、2,500本限定の「Courvoisier Succession J.S. 」をリリースしました。ナポレオンがどこに行くにも持ち歩いた宝物である木製のウォールチェストの手作業によるレプリカに納められています。このコニャックには、グランド・シャンパーニュの最高の生産者一族が数世代にわたって大切に熟成させてきた秘蔵のワインから出来た原酒がブレンドされています。 所有者のひ孫が、同一族のクルボアジェとの特別な関係に敬意を表してこの貴重な原酒を提供してくれたため、この傑作を造り出すことができました。

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才能を称える「Courvoisier The Future 500」。2007

当社は、イギリスにおけるパイオニアや起業家だけのネットワークを構築することで、本当の意味でソーシャルメディア革命を受け入れた最初のブランドのひとつとなりました。 人々に感動を与える個人を評価するという当社の歴史は、1912年に制定されたナポレオン勲章にその起源を発しています。これは「洞察に満ちた活動を成し遂げた男女の個人的な卓越した功績を讃え、 万人の利益のためにアイディアや経験を交換できるエリート軍団を形成することを目的としていました。」 「Courvoisier The Future 500」はこの考え方を 現代において実現したもので、芸術、ビジネス、科学、ガストロノミー、ファッション各界における革命的精神を互いに結び付けることを意図しています。

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「Le Nez de Courvoisier」五感体験。2008

当社では世界で最も薫り高いコニャックを醸造していることに誇りを感じています。しかも、それには確固たる理由があります。 味覚として感じている情報の約75% が実は嗅覚で感知されているからです。ですから、コニャックの香りが高ければ高いほど、より上品な味わいが感じられることになります。 「Le Nez(『鼻』を意味する)」 の作成で、当社はコレクションに基づく知覚体験プログラムを制作した最初のブランドのひとつとなりました。ここでは、クルボアジェの精緻な醸造技術の特定の段階における、各製品の3つの象徴的なアロマを追跡しています。 これを活用して、世界的に有名なシェフの美味なレシピを再現する「五感を通して楽しむテイスティング」をお届けします。優れた作曲家により作曲された音楽がこの体験を一層豊かにしています。

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カクテル作り技術の新しい次元。2009

カクテル文化の夜明けとなった20世紀初頭、コニャックは、ニューオーリンズやニューヨークからロンドンやパリに至るまでのあらゆるミクソロジストに好まれるスピリッツとなりました。 けれども1870年のフィロキセラの影響でフランスのブドウ畑が破壊的な被害を受けたためコニャックが不足し、それに代わってアメリカのライ・ウイスキーやその他のスピリッツの需要が高まりました。 けれども、クルボアジェは先頭に立って、コニャックとカクテル作りの豊かな文化を再び結びつけることに取り組みました。 2009年当社では3D のコマーシャルを制作し、美食家と協力し、コニャックはストレートで飲むものだという神話を打ち壊しました。

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「L'Essence de Courvoisier」。2009

当社の5番目のマスターブレンダー、ジャン・マルク・オリヴィエが現在のマスターブレンダーであるパトリス・ピネと共に手がけた最後のブレンド「L'Essence de Courvoisier」は、過去100年間における、100を超える希少な オードヴィーを混ぜ合わせたハーモニーの傑作。各時代の最も革新的な名作が使用されています。 当ブランドのデキャンタはすべて、30人を超えるバカラのガラス職人により手作業で作られています。 各デキャンタは金色のフレームから吊り下がっているデザインで、精巧に作られたガラスのストッパーが配されています。勇敢で高貴な行為の証として、ナポレオン・ボナパルトより司令長官に授けられた紋章入りの指輪から着想を得ています。

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クルボアジェの新しいイメージ。2015

Courvoisier®はパリの黄金時代を象徴する楽観主義や人生の喜びで世界中を魅了したいと考えました。 あらゆる達成を祝うのに最適な場所であるパリは、このエッセンスを捉えるのに最高の舞台です。 パリのエッセンスと新しいボトルデザインを融合して、クルボアジェの真新しいイメージが作られました。